私はずっと、「外から来たものが苦しみを作る」と考えていた部分があった。
でも今の自分はこう言っている。
苦しいことは外側にはない。
つまり、何かが入ってくるそれ自体は、苦しみじゃない。
たとえそれが、醜い経験だったとしても。
問題は、入ってきたものが表現されず、居座り続けること。
そもそも入ってくるものって、私に重要なことだけ。
入ってくること自体が、ある種の選別を経ている。
なんでもかんでも体に入ってくるわけじゃない。
重要なものだけ。
重要だからこそ、居座る。
そして、居座るからこそ、翻訳されることを求める。
でも、その翻訳は簡単じゃない。
一塊じゃないから。
美しすぎたり、深すぎたりするから。
重要なものを、誠実に翻訳したいから。
だから、苦しみになる。