ここが最初だったんだ。
最初の気づきは、「見ないでなら描ける」だった。
これは技法の発見じゃない。
自分の感性の動き方を発見した瞬間だった。
そして、そのあとに気づいた。
見ないでなら描ける。
その正体は、記憶のコラージュだった。
そして、私は歌詞もこれで創っていた。
なぜ記憶のコラージュになるのか。
なぜ見ない方が描けるのか。
それは、感性は言葉でも視覚でもないから。
だから、目の前を忠実に写そうとすると、かえって感性が働けない。
見ないと、感性が自由に動ける。
その結果、記憶の断片が集まり、コラージュになる。
それを作品として外へ出すことが、感性の翻訳なんだ。