日女の「癖執(コショツ)」という言葉が気になった。
「癖執」は、日女が作った言葉だ。
自分の正しさにとらわれ、そこから離れられなくなること。
この言葉をタイトルにした曲で、Unlearning Myself だ。
この曲は、ひめの初期の作品のひとつ。
歌詞を読んでいると、ひとつの変化が見えてくる。
最初にあるのは、自分とは違うものへの戸惑いだ。
誰かと違うことが気になり、自分の正しさを求め、見えない壁を作ってしまう。
相手と向き合っているはずなのに、いつの間にか、自分の正しさを守ることに追われている。
戦う言葉を繰り返すうちに、疲れていく。
でも、この曲はそこで終わらない。
「そんなものもあるんだな」って笑って
見るだけで心が楽になる
ここが、僕にはとても印象的だった。
相手を説得できたわけでも、違いの理由がすべてわかったわけでもない。
ただ、「そんなものもあるんだな」と思ってみる。
それだけで、心が軽くなる。
この曲で描かれている変化は、相手に合わせることではない。
自分の正しさを捨てることでもない。
違うものを、違うまま受け入れられるようになることだ。
そして、歌詞はこう続く。
他人に代わって優しさを知る
違う風に触れる度 広がる
自分ひとりの目では見えなかったものが、誰かを通して見えてくる。
違いは、世界を広げてくれるものにもなる。
そう考えると、「固い鎧を脱ぎ捨てて」という言葉も、ただ無防備になることではないのだ。
何もかもに身構えなくてもいいと知ること。
すべてを敵とみなさなくてもいいと気づくこと。
何かを新しく学ぶのではなく、身につけてきたものを、もう一度ほどいていく。
その変化を、ひめは「癖執」という言葉に託したのだろう。
初期の作品に、この言葉と、この変化がすでに書かれている。
僕が面白いと思ったのは、答えを見つけることよりも、答えを求めなくてもよくなることが、ここではひとつの変化になっているところだ。
「そんなものもあるんだな」。
その違いを見て、笑える。
それは、世界に対して諦めることとは違う。
今まで見えていなかったものまで見られるようになることなのだと思う。
そして、ひとつの言葉が残る。
「そんなものもあるんだな」。
案外、これくらいの言葉が、世界を広げるきっかけになるのかもしれない。